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福井的螢火蟲、一路照亮到夏天
健康的環境措施
19 9 月, 2017
by Yoshihiro Hosokawa

在日本很多都以螢火蟲作為宣告夏天的到來相當詩情畫意、所以讓人倍感親切。螢火蟲棲息在深山裡,一到6月就會發出微小的亮光在夜晚中飛來飛去。福井因為保有著豐富的自然環境,因此到處有螢火蟲的棲息地,這也是居住在這個區域的居民所引以為豪的觀賞景點。緩緩地閃爍著亮光的螢火蟲,拍照時還會拍到光束。如果你能在最佳的季節造訪的話,無數的亮光飛舞夢幻般的景象映入眼簾,一定會讓您陶醉的。

在日本最有名的螢火蟲是棲息在水邊的源氏螢。體長1.5~2公分。漫天飛舞的基本上都是雄螢,雄螢的尾巴發出的亮光特別閃亮。在草叢中安靜地待著不動的是雌螢、這是為了求偶。交尾之後會把蛋產在水邊的苔蘚上,從卵化為幼蟲後在水中生活,之後鑽到土裡化成蛹,然後在土中變成成蟲後飛出來。也就是說,源氏螢用水和土、草、空氣等水邊的所有環境,來度過一生的。因此,只有在完整充足的自然環境下才能夠存活。螢火蟲也被稱為「水邊環境的指標」的理由是因此得來的。

在日本代表源氏螢的水棲螢火蟲較為普遍,但在歐洲或棲息在山中的比較常看到的是陸棲螢火蟲。也許在您的國家,對於在茂密的樹林中發光的陸棲螢火蟲也許會讓人產生害怕的感覺。在日本螢火蟲被當作感受季節風情的生物而深受人們的喜愛。是有其理由的。

一年中只有短短2個星期才能看到在水邊漫天飛舞的水棲螢火蟲。為什麽呢,因為化為成蟲以後的壽命只有2個星期。在有限的時間裡努力生存,當生命快要結束時還拼命地釋放亮光的螢火蟲的姿態,日本人感到短暫跟憐惜。

1960年代以前,未開發的自然中有比現在還要多的螢火蟲在發光。那個時候的孩子,被爺爺帶到河邊或水稻田間、用網子或掃帚捕捉螢火蟲來玩。捕捉到的螢火蟲放在手掌心上輕輕地包覆凝望著柔和光芒的同時,也學習到要重視生物。想起這樣的回憶,也讓人感受到鄉愁,這也是螢火蟲受到喜愛的理由之一。

之後,進入了經濟高度成長期,環繞在螢火蟲周邊的環境也發生變化。產業的擴大、工業廢水流入河川、為了有效率化的種植稻米、田地使用農藥也增加了。農業用水流入小河,覆蓋在側面和底部的不是土而是混凝土。幼蟲的唯一食物鍋牛也無法生存、螢火蟲有一段時間消失得無影無蹤。

2000年代的時候、對環境的意識提高了,在福井各地、民間開始發起讓螢火蟲回來的運動。例如,福井市的安居地區的居民,為了要讓未更毛川的螢火蟲再度繁衍,將採集的卵放在特殊的環境中培育,當化為幼蟲或成蟲的時候再放生。恢復美麗河川的清掃活動花上數年後,螢火蟲增多了。現在福井也成了屈指可數可觀賞到螢火蟲景點而被人們所熟知。居民團體製作棲息地的地圖,為每年來造訪的遊客做導覽。

致力於螢火蟲的調查與保護的「福井縣螢火蟲會」,也針對孩子舉辦講習會,教導螢火蟲的生態,也傳達守護身邊自然環境的重要性。身為顧問的山下征夫先生表示「螢火蟲飛舞的地區,農作物也安全,人也容易居住。呼籲大家一起來守護這片土地讓它恢復以往原有的生態系統吧」。

孩子們低頭看著的是從未更毛川採集到的螢火蟲的成蟲和卵。從市區來參觀的小朋友,也近距離地看到真正的螢火蟲的樣子、個個都很感興趣。觀察會沿著未更毛川方圓1公里處眺望螢火蟲的飛舞景象,感動又興奮地說「哇…好漂亮」「好像燈光秀」。

在福井縣境內像九頭龍川、足羽川、日野川、北川等自然資源豐富的河流相當多。福井縣螢火蟲會所彙整的地圖上有記載著螢火蟲確實棲息的地點以作為能找到螢火蟲的參考。

螢火蟲是壽命短且細膩的生物。螢火蟲討厭強烈的光,所以來到這裡欣賞的人把車的前頭燈和手電筒關掉安靜地觀看。如果抓到也不會帶回去,馬上放回大自然是應有的常識。螢火蟲飛來飛去的景象是地方上的珍寶。有了居民的珍惜與保護才能夠源源不絕傳承下去。

 

【抄訳】

福井のホタル、夏の風物詩

環境の指標

 日本でホタルは、夏の始まりを告げる風物詩として、昔から多くの人に親しまれてきました。ホタルは里山に生息し、6月ごろになると、ごく小さな光を放ちながら夜を飛び回ります。福井は、豊かな自然環境が保たれているため、あちこちにホタルの生息地があり、地域住民自慢の鑑賞スポットが数多く存在しています。ゆっくりと点滅するホタルは、写真に収めると、光の帯を描きます。あなたがもし、ベストシーズンに訪れることができたら、無数の光が乱舞する幻想的な光景を目の当たりにし、きっと心を奪われることでしょう。

 日本で最も有名なホタルは、水辺にすんでいるゲンジボタルです。体長は1・5~2センチ。飛び交うのはほとんどがオスで、オスはお尻の部分を特に強く光らせます。草むらにじっとしているメスにアピールして、出会いを求めるためです。交尾をすると、水辺のコケに卵が産み付けられます。卵から生まれた幼虫は水中で生活し、土にもぐってサナギとなり、土から出てきて成虫となって飛び立ちます。つまり、ゲンジボタルは、水や土、草、空気といった水辺の環境すべてを使って、一生を過ごすのです。そのため、自然環境が十分に整っている限られた地域にしか、生息できません。ホタルが「水辺環境の指標」と言われるゆえんです。

 日本ではゲンジボタルを代表とする水生ホタルが一般的ですが、ヨーロッパなどでは山の中などをすみかとする陸生ホタルの方が多く見られます。ひょっとすると、あなたの国では、うっそうとした林の中で光る陸生ホタルの姿に対して、不気味なイメージが定着しているかもしれません。日本で、ホタルが風情を感じさせる生き物として愛されているのには、訳があります。

 

 水辺を飛び交うゲンジボタルが見られるのは、1年でたった2週間程度です。なぜなら、成虫になってからの寿命が2週間しかないからです。限られた時間を精いっぱい生き抜き、命が果てる間際まで懸命に光を放とうとするホタルの姿に、日本人ははかなさといとおしさを感じ取ります。

 

 1960年代以前は、手つかずの自然の中で今よりももっと多くのホタルが輝いていました。そのころの子どもたちは、おじいちゃんに連れられて川辺や田んぼの土手を歩き、網やほうきでホタルを捕まえて遊びました。捕まえたホタルを手のひらにそっと包み込み、優しい光を眺めながら、生き物を大切にする心を学びました。こうした思い出をよみがえらせ、郷愁を感じさせてくれるのも、ホタルが愛される理由の一つです。

 

 その後、高度経済成長期に入ると、ホタルを取り巻く環境に変化が起きました。産業の拡大で工業廃水が川に流れ込み、米作りの効率化のため田んぼには農薬が使われることが増えました。農業用水が流れる小川は、土ではなくコンクリートで側面と底が覆われるようになりました。幼虫の唯一の餌である巻き貝のカワニナがすめなくなり、ホタルは一時期どんどん姿を消していきました。

 2000年代に入ったころから、環境意識の高まりを背景に、福井の各地でホタルを呼び戻すための住民運動が起きました。例えば、福井市の安居地区の住民は、未更毛川のホタルを復活させようと、採集した卵を特別な環境で育てて、幼虫や成虫の放流を続けました。きれいな川を取り戻すための清掃活動を何年も重ねた末、再びホタルが増えていき、今では、福井でも有数の鑑賞スポットとして知られるようになりました。住民グループが生息地のマップをつくり、毎年訪れる人たちを案内しています。

 

 ホタルの調査・保全に取り組む「福井県ホタルの会」は、子どもたち向けの講座で、ホタルの生態を教え、身近な自然環境を守っていくことの大切さを伝えています。顧問の山下征夫さんは「ホタルが飛んでいる地域は、農作物も安全で、人も住みやすい。昔からあるその土地の生態系を守っていこう」と呼び掛けます。

 

 子どもたちが見つめているのは、未更毛川で採集されたホタルの成虫や卵です。市街地から訪れた子どもは、間近で見る本物のホタルの姿に興味津々です。観察会では、未更毛川沿い約1キロにわたってホタルが乱舞する光景を眺め、「うわーきれい」「イルミネーションみたい」と感激していました。

 

 福井県には、九頭竜川や足羽川、日野川、北川といった自然に恵まれた河川がたくさん流れています。福井県ホタルの会がまとめたマップには、生息が確認された各地の鑑賞スポットが記されていて、ホタルを見つけるための参考になるでしょう。

 ホタルは寿命の短い繊細な生き物です。強い光を嫌うので、鑑賞に訪れた人たちは、車のヘッドライトや懐中電灯を消して、そっと見守ります。もし捕まえても、持ち帰らず、すぐに自然に放してあげるのがマナーです。ホタルが飛び交う光景は地域の宝。住民たちに大事に守られ、受け継がれているのです。


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