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具有根源的人的犧牲在奇怪的祭祀
OSHISSAMA-no-Owatari(福井市)
8 9 月, 2016
by Yoshihiro Hosokawa

以北美為代表的西方國家每年秋天都會感謝收成,會舉辦感謝祭的活動。在日本秋天也會舉辦各種各樣的豐收祭。特別奇妙的祭典之一就是福井的「獅子渡御神事」。

oshissama%e2%91%a0日本人長年和自然一起生活。地震、海嘯、颱風、火山爆發的自然災害、奪去了很多人的生命。以前的人們害怕自然,認為自然災害是因為神的憤怒。因此為了鎮神防止災害,在日本的農村和漁村,進行了人祭。

oshissama%e2%91%a1“獅子渡御神事”就是以這種人祭而流傳下來的。

oshissama%e2%91%a2獅子渡御神事就是以這種人祭而流傳下來的。根據傳說,以前當地人相信為了防止嚴重饑荒,必須要供奉1個孩子。每年九月當地的孩子們有一名會被選上然後被送到一個陰森森被稱為”死兒之橋”的橋。但是某一天來到這個村莊的武士說:你們錯了,是怪物欺騙了你們。然後將怪物給擊退後就離開了村莊。從此人祭不復存在,村莊恢復了平和的生活。

oshissama%e2%91%a3%e2%98%85從那以後,為了慶祝從人祭的陰霾解脫出來,以及感謝猿田彥這位武士和他的妻子的”獅子渡御神事”祭典經過了800年以上,在每年十月第二個星期日舉辦。當地的一位年輕人勇敢地朝向高雄神社敲響太鼓,當地孩子們很有精神地唱著這首歌。

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“過了死兒之橋後,請讓我握住大乳房。如果你不喜歡的話,請參加宴會。”

這首歌表達了母親要和成為牲禮被供奉出去的孩子分離時悲傷的瞬間的心情。

oshissama%e2%91%a6誰也不知道為什麽這麽殘忍的瞬間會成為歌曲。也許是為了想傳達給孩子母親深深的愛,但是還是沒有人知道。長久以來就是個謎團。

 

【抄訳】

北米をはじめとする西洋の国々では、毎秋、収穫に感謝し、これを祝う感謝祭がありますが、日本でも、秋には、各地で様々な収穫祭が開催されています。とりわけ、奇妙なお祭りのひとつが、福井の「オシッサマのお渡り」です。

日本人は、長年、自然とともに生きてきました。地震や津波、台風、火山の噴火といった自然災害が突然起こり、多くの人命を奪ってきました。昔の人々は、自然を恐れ、自然災害は神の怒りだと考えていました。そこで、神を鎮め、災害を防ぐために、日本の農村や漁村では、人身御供が行われていました。

「オシッサマのお渡り」は、このような人身御供をルーツとしています。伝説によると、昔、地元の人々は、深刻な飢饉を防ぐために、子どもを1人、お供えしなければならないと信じていました。毎年9月には、地元の子どもたちから1名が選ばれ、「死児の橋」と呼ばれる気味の悪い橋に送られました。しかし、ある日、この村を訪れた侍が「君たちは間違っている。化け物が君たちをだましてきたのだ」と言い、化け物を見事に退治して、村を去って行きました。そして、ようやく、人身御供のない平和が、村におとずれたのです。

それ以来、人身御供から解放されたことを祝い、猿田彦という侍とその妻に感謝する「オシッサマのお渡り」が、800年以上にわたって、毎年10月第二日曜日に開催されてきました。地元の若者の一人が高雄神社に向かって勇ましく太鼓を打ち鳴らし、地元の子どもたちは元気よく、こんな歌を歌います。

「シニコノハシヲ コシタナラ イカイチチヲ ニギラセテ ナンバミソイヤナラ ゴットミソ(『死児の橋』を越したなら、大きな乳房を握らせて、なんば味噌が嫌なら郷土料理『ごっと味噌』を食べさせよ)」

この歌詞は、人身御供により、子どもと離ればなれになる母の悲しい瞬間を表しています。

なぜこんな残酷な瞬間が歌になっているのか、誰も知りません。子どもへの母の深い愛を伝えようとしたものかもしれませんが、よくわかりません。長年、ナゾのままです。


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